嫁はサーフィンに乗って グチの聞き役〃病いは気から″という言葉がありますが、看護婦になっていろいろな患者さんとかかわるなかで、その言葉の深さがしみじみと思われてきます。
それは、入院してくる患者さんはみんな、身体の具合がどこかしら悪いから入院するのであって、それ自体はけっして気のせいではない。 しかし、加齢からくるどうしようもない衰えまでをすべて病気と結びつけたり、出てくる症状ばかりを細かく言い立てることが生きがいになってしまったりする一部の患者さんを見ていると、本人の性格や考え方が、どんどん病気を深刻なものにしていくことはあるんだなあと思います。
瑞息や糖尿病、その他慢性病では、患者さんに主体的に病気と闘う姿勢をもっても戸つい、また生活のうえでの注意を守る動機づけを行なうために、日常生活の内容と身体の症状の記録を書くよう勧める場合があります。 これは、自分の身体に無頓着だった人の意識を高めるにはよい方法なのですが、もとから神経質な患者さんの場合、その記録をつけることが生きがいとなり、病気の殻に自分を閉じ込めてしまう場合も、残念ながらあるのです。
新人のころに入院してきた五十代の女性は、「○山○子の瑞息日記」と表紙にタイトルが書かれた大学ノートを、十冊近く持っていました。 それを彼女は、来る看護婦、来る看護婦に見せるのですが、一日数ぺージに及んで食事、排便、発作、精神状態など、病気のことだけをこと細かに書かれているそのノートは、かなり不気味な内容。
微熱のある時などは、三十分に一回熱を測って、定規できちんと引かれたマス目の中に、細かく書き入れられてあり、本当に、病気のことだけを考えて日を過ごしている様子が、手に取るようにわかりました。 病歴を見ると、彼女は、ちょうど子供が大学生になり、自分の手を完全に放れたころから瑞息の発作がひどくなって、入退院をくり返すようになっていました。

そのあたりにも、なんらかの精神的な因子があったのかもしれません。 ともかく、ぽっかり空いた時間を、彼女は瑞息日記をつけることで埋めていることだけはたしか。
入院しても、自宅がそう遠くないにもかかわらず、夫も子供も見舞いにはほとんど来ない。 そんな孤独感も、彼女の病気に悪い影響を与えているように思えました。
ただ、内面に問題をかかえる患者さんのだれもが、日記と向き合うように内向的な患者さんとは限りません。 なかには、入院すると看護婦をいびったり、〃そんなこと私に言われてもどうしようもないわ〃と思えるようなグチを、延々と看護婦相手に言いまくるような、エネルギッシュな患者さんもいるんです。
「病気のことばかり考えているよりも、ほかの趣味とかに目を向けてみるのもいいんじゃないでしょうか。 どんなに気をつけていても、季節の変わり目とか、どうしたって発作は起こるんだから。
起こったら起こった時と思って、開き直って毎日を楽しまないと。 そのほうが、きっと身体にもいい影響がありますよ」先輩の看護婦は、そんなことをよく彼女に言っていました。
まだ新人だった私は、そこまで患者さんに踏み込んで話をすることはできませんでしたが、同じ思いでその言葉を聞いていました。 しかし、子育てのみに追われて生活し、自分のやりたいことを見つけられなかった彼女が、ちょうどエアポケットのような時期に病気を得、それを生きがいにしてしまったことを、だれも責められないでしょう。
看護婦は、患者さんの生き方を変えることはできない。 でも、その生き方が病気を悪くしてしまうことも多く、そんな時、私たちはなんとも言えない無力感を感じるのです。
そのような患者さんは、主として中年以上の男性にも女性にもいます。 ただ、お互い同性だとそのいやな部分も目につきやすいせいか、中年女性の嫌味は、働いていて最も気持ちにこたえてしまいます。
彼女たちに言わせれば、病院の水がまずいのも、建物がぼろなのも、すべて看護婦のせい。 検温で〃いかがですか〃とたずねるたびに、病室が汚い、水道の水がまずい、と言われていると、快適な環境で療養したいという気持ちはわかりながらも、〃私にどないせいつちゅうの?〃という気にもなってきます。

看護婦になってから三年目くらいまでのあいだは、とにかくこの手の患者さんのグチを聞くのが、本当にいやでした。 私なりにいつも優しい理想の看護婦を無理してやろうとしていた分、患者さんに対しても、いつもひかえめで我慢強い、理想の患者像を押しつけていたのだと思う。
それが患者さんとのきれいごとだけでは割りきれないぶつかり合いのなかで、こっぱみじんに崩れてからは、私も無理をしない分、患者さんにも寛大になったように思います。 今では、ひたすらグチを言われても、聞くべきところは聞き、どうにもならないところは聞き流し、どうにも頭にくることは時に言い返す。
すっかり、私もしたたかになりました。 このあたり、看護婦と患者さんの関係って、恋愛に似ています。
若いうちは自分を捨ててでも相手に尽くせると思っているけど、そのうち無理が高じて爆発して、自分を大事にしないと相手も大事にできないことがわかってくる。 そして一度はもう恋愛なんてという気になっても、実はそれからのほうが豊かな恋愛ができたりするもの。
看護婦と患者さんも、互いに自己主張するようになってからが、実はおもしろいのです。 いつも看護婦のあらを探し、他の患者さんのことを悪く言う、つらーい患者さんが入ってくると、私たちはこっそりこんな会話を交わします。
「もし姑が○○さんみたいだったらどうする??」「やだ。 絶対息子もろくなもんに育ってないから、結婚しないよ」時に看護婦同士、そうやって憂さを晴らしながら、私たちはそんな彼女とおつきあいしているのです。
向こうもきっと、患者さん同士で、「○○さんみたいなお嫁さんが来たらどうしますぅ??」「あら、やだ」なんてことを言い合ってるんでしょうけどね。 人間関係って、自分が好きになれない人は、向こうも好きになってはくれないものですから。
看護婦と患者さんの関係も、おんなじなんですよね、きっと。 嫁と姑といえば、忘れられない話があります。
以前、目まいが残る程度の軽い脳卒中で入院していた七十代初めの女性は、ものすごい意地悪で、いつも面会に来ている長男の妻をいびるだけいびっていました。 やれ羽織を持ってこい、ラジオを持ってこいと、毎日用事を言いつけ、行き帰り一時間の道を取りに帰らせたりする。

で、持ってきたらきたで、ありがとうひとつ言わないのです。 また、ひとつひとつの口のきき方がすべて嫌味で、まるで小間使いをこき使うように、あごでしゃくって指示したり。
とどめは、入院中で具合が悪くなった実母の見舞いに里帰りを希望した彼女に、「私はいいけど、自分の里帰り中に嫁ぎ先の親になにかあったら、あなたが恥ずかしいんじゃありませんの。 まあ、今の人は私たちのころと考え方も違うんでしょうけどね。
私の若いころは、嫁ぎ先のことを一番に考えたものでしたけど、今は違うんでしょうね」と、ねちねち嫌味を言い、気後れした彼女は結局里帰りせず、親の死に目に間に合わなかったのです。 もちろん、その話を聞きつけた私たちは、里帰りを勧めました。
「だって、あの人は急変なんてする状態じゃないんですよ。

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